胡琴雅爵

Jazz-Trombone & Erhu-Fiddle

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2004年の自言自語

自言自語(作者の独り言)

(2004年11月17日)
 同じフロアの職場から出張してきた若いのと小龍包を食べて、士林夜市に連れていった。
 今一歩、彼の反応が見えなかったが、来るたびに夜市らしさが消えつつある。
 いつもすれ違うのも大変なくらいの安平路はアーケードが撤去され、2m強の幅でストーンと先まで見通せるのは奇妙だ。
 今度来るのは買い物ではあっても、台湾らしさを感じにくることはないかもしれない。
 老爺飯店に泊まっている彼とは双連駅で分かれ、ホテルに向かう途中、民生東路と中山北路の交差点にある「上揚国際」(CD屋さん)に寄った。
 ここはいつ創業か知らないが、台湾では老舗の部類ではなかろうか。私は90年頃にはあったのを覚えている程度だけど。
 「台北でジャズのCDが多くおいてあるCD屋さん、知りませんか?」と尋ねたら、「どんな感じのですか?」 と、マスターは日本語世代なのか、日本語も流暢だ。
 「ビッグバンドものですけど」と続けると、またまた流暢に、「台北にはビッグバンドが演奏できるところが少ないから聞く人も少なくて、それにタワーレコードが無くなったからねえ・・・・。」
 この世代の人達の日本語は、すごく自然に出てくるので、つい声をかけたくなってしまう。

(2004年11月14日)
 ゆっくり起きて、ホテルの近所にある「台北之家」を始めて覗いた。
 ここは旧アメリカ大使館邸で、長い間、おばけ屋敷のようになっていたけど、洒落た作りに改造されていた。
 今年は台北建城120週年とやらで、昔の台湾や台北に関する本を2冊買い、少しは勉強しよう。
 あとは、光華商城で生DVD-RW,CD-R,CD-RWなんかを合計70枚買って2000円位?、やっぱり安いなあ。でもカバンが重たくなる・・・・・。
 二胡(胡弓)の弱音機を買おうと思ったけど、台北ナビで調べた中国楽器店2店舗とも日曜は休みだった。小龍包で有名な鼎泰豊の近くにある一軒で二胡を買ったけどだけど、この夏、探したら無くなっていたので、どこに引っ越したのか思っていた。

(2004年11月13日)
 今日はケンちゃんのお父さんの黄さんとその友達の向さん夫妻とドライブ。
 朝7時にホテルまで黄さんが迎えに来てくれて、板橋の向さんをピックアップして第二高速に乗り、苗栗ICで下りて五穀文化村で客家の風景を見てから6号線で大湖郷へ。五穀の客家の家は焼きレンガの壁としめ縄が特徴のよう。何か客家って日本との関連がありそう。南台湾の「美濃」地区はきしめんに似た麺を出すし、このしめ縄といい・・・。
 大湖では向さんのお兄さんのやっているイチゴ園に挨拶に。
 イチゴは12月だから来月おいでと向さんのお兄さん、向燕霖さんに言われながらお茶を頂いた。
 日本の様にハウス栽培ではなく、畑に苗が埋まっていた。(別途紹介予定)
 あたりをぶらぶらしていると、近くにはキャベツの花やら見たことも無い花や草が一杯。
 そこからスグの雪覇国家公園管理処でこの国家公園をだいたい知識に入れて、大雪山のふもとの方へと向かった。
 雪山(3886m)と大覇尖山(3492m)があるから「雪覇」とのこと、ごもっともでした。
 卓蘭から大安渓に沿ってケンちゃんの日産車,X-Trail 2000ccが登っていく。夏の大雨で何箇所も道が切れてそのあとを応急修理したジャリ道があちらこちらにある。土石流の生々しい跡を越えていき、水力発電所のある雪山坑で、川沿いの道は分断されていたので引き返した。後でガイドブックの写真を見るとこのあたりには大安渓を跨ぐ橋があったようだけど、集落ごと飲み込まれたようだ。
 このあたり、泰安郷観達地区は柿が名産で、黄さんから2個いただき。
 柿を売っていた店の入り口まで削りとられたようで、道路を挟んだ向かいの店は流されてるとの事だった。
 帰りの卓蘭郷東盛地区のあたりで、名産の陽桃(スターフルーツ)を向さんからいただき。
 試食できるが、台北の飲み屋ででてくるのとは格段に違い、甘い。スターフルーツがこんなに甘かったのかと再認識。
 夕食は三重市にある黄さんの家の近所でシャブシャブを食べて、近所の疏洪親水公園で腹ごなしの散歩してホテルに送ってもらった。
 ホテルの部屋で地図を見ると、今日行った所は雪覇国家公園の中に入っていなかった。管理処も外だし、あれだけ悪路を登って行ったのに。確かにいくつかの2000m級の前山が邪魔して、3000m級の高い山は全然見えなかったから、そんなもんなんだろう。
 黄さん、向さん、今日も一日、ありがとう。そして馳走様でした。

(2004年11月11日)
 99年の921地震以降、地震に過敏になっている。 昨晩、今朝とM5~6クラスの地震があり、新潟ほどではないにしても、気持ちの良いものじゃあない。
 こちらでは「地牛翻身」とやらで、地震はナマズならぬ、牛が地下で動くのが原因らしい。

(2004年11月9日)
 今日から台湾出張。友人が明日から、ボクの帰国の翌日まで日本出張になったとの事。
 せめてメシでもということで、吉林路x長春路の「好記担子麺」で0時過ぎまで一緒に夕食(夜食?)をとった。
 土日の休みには彼に遊びに連れて行ってもらおうと思っていたら、彼のオヤジさんが代わりに苗栗に「台湾の秋を探しに行こう」との事。
 ありがたい事だ。ただ、オヤジさんは日本語がダメなので、一日、中国語が待ち受けていそうだ。まあ、かなり後退した中国語の勉強だと思えば、一石二鳥か。
 そういえば、昨日の夜に震度4クラスの地震があり、会社の壁に数箇所、ヒビが入っていた。
 そのヒビを見ながら、99年の921地震の時も同じだったなあとは思い出していたが、聞くところによると、先日の大型台風では高層ビルの台北101の上層階では暴風で1.5mほどの横揺れがあったとか。地震ところじゃないな。あのビルでは仕事はしたくないものだ。

(2004年11月7日)
 横須賀アーチスト委員会が主催しているショッパーズプラザ横須賀でのライブはよく聴きにいくが、昨日は娘が行きたいというフォーカウンツ・オーケストラの練習で、森行さんのSonic Brassの演奏は聴けなかったけど、今日行くと、ハッピー・ボックスというビッグバンド構成のフュージョン系?の演奏をやっていた。平均年齢はTPOの半分位だろうか?(笑)、でも、まだ20代じゃなかろうか。
 上手な演奏だった。だけど、あのジャンルにビッグバンド構成は、ちょい、ウルサイかも?という気がした。
 ぶらぶらしていると、西島泰介さんとばったり会った。
 お住まいが近所のようでカール・フォンタナのMDをコピーしてもらったりしたが、先日、横浜ジャズプロムナードでFCOの演奏の直前にクイーンズ・パークで初めて挨拶した。
 MDの件でメールはもらったりしていたので、覚えていてくださり、「TPOは中(クイーンズ・スクエア)ですよね?」なんて話から、カールフォンタナのDVDの話になったが、台湾で買ったカール・フォンタナのDVDの中身は既に持っておられたようだ。さすがフォンタナ・フリークの西島さん。
 TPOの先輩連中はミッキー吉野さんあたりとも線があるようだが、西島さんもゴダイゴ・ホーンズを一部やられていたようだ。
 娘が最近、女房が昔買ったゴダイゴのCDがお気に入りらしくて、FCOの練習について来るときは、女房からMDプレイヤーとCDプレイヤーを借りて、電車で聞いている。
 変な小学5年生だ。まったく、親の顔が見たい・・・・ああ、オレか。(笑)
 西島さんにボントロを教えてもらおうかなあ・・・
 台湾出張で聴きにいけないビル・ワトラスとの演奏の話は、帰国してから西島さんに聞いてみよう。

(2004年11月5日)
 今年は5月から毎月2週間程度の出張を繰り返しており、最後は9月初の4日間の出張以降、2ヶ月が空いたが、9日よりまた2週間の出張となった。何かすごく久しぶりの出張のような感じがする。
 土日を挟む出張は3ヶ月振りだが、土日出勤にならなければ、久しぶりに金瓜石でも行ってみるかな?
 太子賓館の入場許可や各種博物館建設など、観光地化が進んでいるようだ。
九イ分が観光客で溢れかえり始めた頃も、金瓜石は静かで、黄金神社から海を眺めながら、ボーッとゆったりできるいい所だったのに、なにかお気に入りの台湾がまた一つ消えていきそうだ。

(2004年10月27日)
 台湾の友人がまた日本に出張で来たけど、横浜での数日滞在の後、六日町の工場へ行く予定との事だった。
 23日の地震の余震が心配で、26日の東京も揺れた余震の日、安否確認の電話をしたら、1回目は繋がらず、2回目は呼出しているものの、彼が出ない。ちょっと心配になったが、3回目でようやく、元気な「リー、ホー」との声が。ホッと安心したら、ちょうど、六日町に向かう途中だったけど、さっきの余震で電車が高崎止まりとなり、とりあえず東京方面に戻るところとの事。
 結局、2週間ちょっとの予定を短縮して、帰台になったとの事。
 被災された新潟の人たちには申し訳ないが、敢えて余震が続く危険性のあるところへ、向かう必要もなかろう。
 台湾も地震国で、中越地震のあと、わりと大きな地震があったようだ。地震としての関係はなかったようだが。

(2004年10月11日)
 今日こそ晴れると思っていたが、朝から雨。
 昼前には上がったので、友人の吹奏楽の演奏会を聞きに女房と蒲田へ。
 友人が一緒にビッグバンドをやっていた時とほとんど同じ吹き方で吹奏楽をやっているのが可笑しい。いや、いい意味だけど。
 ボントロ陣はみんなスライドが下を向いているのに、彼だけ、ほとんど真横。
 そのおかげで彼の音だけスコーン!と前へ出てる。いい音だ。

(2004年10月10日)
 台風一過の暑い日になると思ったが、雨が降りそうな肌寒い天気。
 でも、横浜みなとみらいは熱いJazzの世界!
 クイーンズパーク(屋外)でフォーカウンツ・オーケストラでの演奏が終わると同時に、霧雨のような雨が降ってきたが、TPOの方はクイーンズ・スクエア(屋内)なので、大丈夫。
 藤沢ジャズソサエティの演奏の後は、慶応ライトの演奏と上手い演奏が続く。
 司会の方が、「小学生で始まった演奏も、大学生を経て、年齢がだいぶ高くなってきたのに合わせて、(我々の腹を見て)だいぶ、舞台も小さくなってきました。」と笑いを取る。
 屋内とはいえ、吹き抜けの広いスペースなのに、照明が暑い。
 MCの「TPOは「(T)とっても、パワフル(P)な、(O)音と覚えてください」に合わせて、バリバリの演奏を披露。
 予定の時間が余った中で、アンコールも頂いて、こっちも満足。
 アンコール曲は予定していなかったけど、ウチのバンド得意の、「本番リアルタイム曲変更対応」用に入れていた、Nesticoの曲を急遽アンコールに利用。」
 本来は、その場の雰囲気に合わせて、曲を入れ替えるためのもので、タネを明かせば、テンポの速い曲の入れ替え用がこの曲で、遅い曲用がLonely Streetだったけど。
 しかし、「Fashinating Rythm」をアンコールに使うか~?(笑)

(2004年10月9日)
 台風22号が三浦半島の真上を通過していった。窓が風でブンブンうなる位、久々に凄い台風だった。
 台風が直撃する前3時間程前に、「今晩、TPOの練習する」との連絡。「ほんまかいな。」と思ったけど、「出席します」の返事メール。
 だけど通過した直後に風も雨もピタリと収まり、星さえ見えないけど、雲の無い夜空に。
 いつもの練習場の工場も屋根も無事飛んでおらず(エイゾーさん、ゴメン!)、無事、ポイントを通しての練習。
 いつもより若干早い23時過ぎに練習を終了して、明日の横浜ジャズプロムナードに望むことに。

(2004年9月27日)
 今日はフォーカウンツの冠に三井不動産とつけて、恵比寿のウェスティンホテルで演奏。
 三井サッポロ会の宴会の余興なので、15分と短い枠だが、やったもの勝ちで20分ほど演奏。
 Time Streamでは何回も休符を食って出たのがいて、コケルかと思ったがなんとかリズムが付いてきたので、ゴマカせた。(まあ、好きな人が聞けば、すぐわかるけど。)
 この会はボクは2回目だけど、演奏のあとは飲み放題食べ放題なんで、これがギャラかな。(笑)
 お土産の(甘ったるい)ワインを貰い、楽器をいつもの倉庫に戻し、反省会の名の飲み会を軽くやって雨上がりを帰宅。
 さ~て、次は、TPO、FCOとも10/10の横浜ジャズプロムナードでの演奏だ。
 去年、TPOは泰地先生の紹介で出演したけど、ちょうどN.Y.旅行と重なっていたので、出られなかった。
 いつか出たいと思ってたら、今年は一挙に2つのバンドでの出演だ。

(2004年9月25日)
 TPO Swing Orche.で横浜・本町のクリフサイドにて演奏。
 今年で2回目だが、また今年も娘の運動会と同日。雨がが降りそうで、学校側もかなりはしょって進行したので、思ったより早く終了し、娘も連れてクリフサイドへ。
 ボーカルの田村ミサさんとのリハ途中から参加できた。
 フォーカウンツのメンバーも練習が終わってから4人が来てくれたほか、アルトの美雪ちゃんも娘2人連れて来てくれた。
 彼女とは今度は同じ舞台での演奏かも。

(2004年8月24日)
 フォーカウンツオーケストラのメンバーから誘いがあったものの、なかなか2人の日程が合わず、行けなかった台湾居酒屋にようやく行けた。
 銀座スイングの斜め向かいだが、味はかなり台湾のものに近い。
 どうしても手に入りにくい素材があるので、しようがない所と、台湾と比べるのは酷だが、値段が高くなってしまう。
 老板娘(おかみさん)とも話しがはずんだが、西門町の「謝阿姨的店」というおかゆ屋さんの芋粥が絶品であるとの事。
 今度時間があれば是非行ってみたい。

(2004年8月20日)
 とりあえず引越ししたところで、ストップしていた。
 先月の出張で帰宅したら、マンションの入り口のところでKDDIがキャンペーンを張っていて、光ファイバーがマンションまで来ているので速くなるのとと、NTTの費用不要というので、即契約したから。
 Yahooが個人情報を売って?500円なのに、入ってアンケートを書いただけで3000円の金券とは、えらい違い。
 7月下旬から8月上旬まで台湾出張のあと、夏休みに入った。
 会社に入ったころの職場の課長がシーデキのクラをやられていたのだが、その方と、ひょんな事からシーデキのクラをやっていた大学時代の女性の先輩のライブを聴きにいってきた。
 ジャンルはグッドマン風のスイングだったが、昔と変わらずパワフルな演奏だ。
 でもパワフルなだけでなく、円熟味というか、音に深みが増していた。
 演奏の合間に少し話したが、この20数年、いろいろと人生の山/谷があったけど、音楽が彼女をささえていたようだ。
 久々に聴いた彼女のクラは微笑みながら、そして泣いていた。


(2004年7月31日)
 この月曜の訪台日から、腰が痛いなあと思っていたら、火~水曜はその極地。
 イスから立上がるにも歩くのも激痛が。結局、腰痛持ちの同じ出張者にロキソニンをもらい、痛み止め。
 翌日からは若干、痛みが和らいだので、だましだまし土曜まで来た。
 本来であれば今日は出張先の会社の社員旅行で東豊へ行く予定で、参加をお願いしていたのだが結局キャンセルした。バス片道3時間と現地でのサイクリングは腰痛にはキツイ。
 これだけ続く腰痛は初めてなので、この土日に整体にでも行ってみようかとも思ったものの、結局ハリにした。
 ハリは信用できるところでないと怖いけど、台北ナビで見つけたところで「無針鍼灸」とあるので、トライだ。確かにハリは使わないけど、悪いところは痛かった。電極を当てるのだが、本当のハリは入って行く感じ。
 美人の蘇小姐が治療してくれたが、痛かった代償に腰は軽くなって、重慶南路の本屋街を冷やかしてきた。
 ホテルに戻り一息ついたところで、夕陽の淡水を撮りに行こうとバス&MRTで5時半頃に到着。
 3週間前に来た時は昼前だったので、のどかな昔の淡水を満喫したけど、この時間はダメ。
 まるで、駅から喫茶「領事館」あたりまで士林夜市のよう。
 若干の雲があったが、夕方らしい淡水を撮れただろうか。
 家族連れは夕食を兼ねてなのか駅に近いあたりが中心だが、少し外れると若い人達が多くなる。でもこの街はカップルが似合うなあ。
 近々、この間の昼頃の淡水と一緒に淡水2004年とでもして写真のコーナーに載せよう。
 暗くなった淡水駅前の中正路を見たとき、90年頃に初めて淡水に来た時の、既に廃線となった台湾国鉄旧駅舎前で台北に戻るバスを女房とふたり探した風景が頭をよぎった。

(2004年7月29日)
 1週間だけ日本に戻り、また台北。
 今日はこちらの社長と久々に六福客桟の飲茶で夕食。
 最近は台北市内で「六福」というとWestinの「六福皇宮」を指すのだそうだが、台北で飲茶と言えば、六福客桟か兄弟飯店というのが相場。・・・・・と思って行ったのだが、欧巴桑(オバサン)がガラガラとワゴンを引いているのが見えない。
 なんと、あの飲茶独特のスタイルを止めたそうだ。まあ、あの客の入りではしようがないが。
 でも、周りのテーブルにはどう見ても70歳代の台湾のじいさま達が集まってきたのだが、「みんな日本語で話をしている!」
 多分、日治時代の同窓会かなんかなんだろう。
 ウエイトレスの欧巴桑に注文するときだけ(あまり流暢ではない)北京語で話し、皆とは流暢な日本語で会話されている。
 20人近くいただろうか、あれだけの人達、それも見るからに台湾人が日本語で話をしているのはある意味、「チークァイ(奇怪!)」。
 でも、何回か前の出張の時、ホテルで朝食を取っているとき、後ろで、これは見るからに日本人のじいさま数人が、「昨日、ノギ町とコダマ町へ行ってきたよ~」「ウチのあったところは、ビルが建っていて、まったく変っていましたよ。」なんて会話をしている。
 ノギ町のノギは第3代総督、というより日露戦争で有名な乃木希典で、コダマ町のコダマは第4代総督の児玉源太郎だろうか。
 いわゆる「湾生」と呼ばれる、日治時代に台湾で生まれた日本人の同窓会だろう。
 「町」という漢字が残っている地名は、よく「台北の渋谷」と比喩される西門町があるが、台湾の住居表示は欧米と同じで道路名がベースであり、これは正式名称ではない。
 しかし、何かにつけて面白い街だ。

(2004年7月11日)
 昨日の山歩きで疲れてはいたが、朝、起きたら天気がいいので、ムチ打って淡水に出かけた。
 淡水河ぞいの歩道の改装は終わっており、セメントの打ちっぱなしの壁の家に変り、おしゃれな店が並んでいた。
 そんな中にも、あの榕樹は残っていて、その木陰は今日も道行く人たちに涼しさを分けていた。
 なつかしさと安心感が、木の下のベンチで一息をつけさせた。
 その足で紅毛城まで歩いたが紅毛城は改装中とのことで来年5月まで休館だった。
 せっかくここまで来たので、漁人碼頭(Tamshui Fisherman's Wharf)まで河口沿いに歩こうと思い、歩き始めたがなかなか着かない。結局、炎天下の中、4Kmほど歩いてようやく漁人碼頭に着いた。
 ちょうどデッキの下にはお店が入っており、その中の一軒に入って昼食兼の休憩だ。
 歩き疲れて火照った身体をハイネケンの小瓶がクールダウンさせ、もう一本を注文すると、心地良い酔いに、大きめに流れるジャズボーカルやボサノボが身体にしみ入ってくる。
 そんな、ゆったりとしたひと時が過ぎていく。
 ま、これで、後ろを走りまわる子供たちを注意一つしない親たちの家族数組で占領されていなければ、最高なのだが。(笑) 
 夜はデートスポットだろうなあ。ちょうど、スモールお台場といったところか。
 帰りは淡水老街の埠頭まで船で帰ろうとしたが、キップを買うのに身分証明証が必要との事。昨日は山で、近くの山には入山許可証が必要のところもあったので、パスポートを持参したが、今日は淡水の街中までの積もりできたので、持って来なかったのが失敗。(本来は持ち歩かないといけないのだが。)
 泣く泣く、バスで駅まで戻った。
 前回の訪台時、淡水に住んでいる昔の同僚が、「今度、来たら連絡してね。淡水を案内するから。」と言ってくれていたのだけど、今日は自分のペースで歩きたかったので、「對不起」ながら一人にさせてもらった。
 次回は天気が良ければ、船で淡水を渡って、八里方面かな?
 台湾は日本と違い交通手段が少ないので、行きたくても車が無いといけない所が多いから、こんな時は勝手ながら、友人の力が非常に有り難い。
 台湾に来るといつもお願いばかりで申し訳ないが、こんな体験をこのサイトを見てくれる日本の人たちに「私の見た台湾」として伝えるという事で、勘弁してもらえるだろうか。


(2004年7月10日)
 友人の両親とその友達夫妻で拉拉山へのハイキングに出かけた。「拉拉山」とははヨーグルトのTVコマーシャルによる(笑)と泰雅(タイヤル)族の言葉で「美しい山」とのことらしい。
(パンフには原住民の言葉で、とあり、途中通った「巴凌」は「巨木」との事。)
 日治時代に作られた山道を広げた北台湾横断道路の山道を2時間ほど走っての到着だ。
 途中、何箇所も車がすれ違えない所を通るのと、駐車場が大きくないので、朝5時出発。
 これが正解で、帰る頃は駐車場待ちの車や拉拉山へ向かう車が一杯。
 比較的近くにある24本のご神木をめぐる木道ができていて、そこを回るのだけど、やはり空気がきれいだ。
 階段が多いので明日あさっての筋肉痛が心配だが、木道を中心とした山道歩き約2時間の森林浴を楽しめた。
 帰りは新竹のほうに抜けて台北に戻り、その足で陽明山温泉で汗を流した。
 今日の温泉場は「逸園」というもとは軍の施設だったところを改造したところで、日治時代には「巴」という名前がついていた建物らしい。
 白濁の硫黄泉を中心にジェットバスも用意されており、温度管理もきちんとされていて250元。
 家族風呂棟と公衆浴場棟に別れている。家族風呂棟ものぞかせてもらったが、所謂、台湾の温泉といったタイプで、日本人の感覚にはやはり公衆浴場タイプのほうが合いそうだ。
 朝の早くからまる一日、めんどうを見てくれた友人の両親に感謝。
 感謝の意を伝えたら、友人のお母さんが、「気にしないで。これも『ご縁』があったからよ。」と言ってくれた。 そうそう、「ご縁」という感覚も台湾の人たちとは共通だ。
 

(2004年7月7日)
 台湾のバスは10年前に比べ、非常に良くなった。
 まだまだ運転は荒っぽいが、運転手の中には、乗客が降りるときに「謝謝」と言ってくれる人もいるし、次のバス停名をアナウンスする人も出てきた。
 確かに、台湾のバスはステップが高く、立っていると外の景色は下のほうしか見えず、そろそろ降りる人は腰を曲げて走っている位置を確認している。
 こんなアナウンスのサービスや、中には日本のバスの様に、電光掲示板で次のバス停を表示するようなバスも出始めた。
 ちょっと前までは、バス専用レーンがある交差点前のバス停では信号が青になっても客待ちで発車せず、後ろにバスが渋滞したり、一刻でも早く次のバス停へついて一人でも多く乗客を乗せるために、ものすごいスピードで走るという弊害があった。
 これは昔は運転手の給与は歩合制だったからだけど、もしかして、月給制に変ったのかもしれない。
 そういえば、ちょっと前までは運転席に「乗客は(バスの)運転手が、自分の降りるバス停を素通りするのが怖い。運転手は乗客が停車ベルを押さないのが怖い。」なんてステッカーが貼ってあったっけ。
 女性のバス運転手もちらほら見かけるようになり、運転に荒っぽさの感じないバスもでてきた。
 さすがに、郊外までのバスは勝手がちがうが、市内は慣れるとバスはありがたい。
それもあって、交通感覚的には京都の街がダブる。 どちらも盆地だし市街地のサイズも似ているかも。


(2004年6月20日)
 昨日(土曜)の便で帰国した。
 近い台湾とはいえ、移動は一日がかりになるのでもう一日休みが欲しいところ。
 デジカメで撮った写真をCFカードからPCに移したが、これをアップする話になると、なにかと時間がかかる。
 前回の出張の台湾北海岸と台北の市街地の様子をアップしようと思うが、なかなかピンとくるのもがない。
 でも、マックがモスのパクリか、「焼肉ライスバーガー」、「チキン・ライスバーガー」を出したのは笑える。店員さんが勧めるので食べてみたが・・・・・決して、美味しいものではなかった。モスは一日の長どころか、数年の長はある感じ。
 あと、今回発見の変なグッズとしては「台湾型剣山」かねえ。誰も花や花瓶は見ても、中の剣山がどんな形しているかまでは興味無いと思うのだが。
 もうひとつ、「蜘蛛人」。 確かに、スパイダーマンではあるが・・・・・なんか、変な感じ。

 台湾のお金コーナーにようやく手にした2千元札情報をアップした。


(2004年6月13日)
 昨日は、朝ごはんを食べて荷造りを終えて、伊通マンションを出たのが10時半頃。
 手書きの領収書を見ると、宿泊費ではなく、賃貸料との費目になっていた。
 普通、ホテルのチェックインは午後3時頃が多いので、兄弟飯店のロビーに荷物を預けて街に出ればいいと思い、その準備をして兄弟飯店に向かったのだが、ベルボーイからロビーマンはみんな顔なじみなので、「チェックインは午後だよね?」って聞くと、「今でも、ダイジョウブだよ。」とのこと。
 11時前にはいつも指定の角部屋で一息つけた。
 やっぱり定宿がひとつあると有り難い。
 会社で世話になった庶務の女性(フルート吹き)がダンナを追っかけてNYに行くために会社を辞めるとの事なので、建国玉市へ行き、台湾琥珀のペンダントをゲット。ダンナのいる女性への贈り物というのは気にかかるが、ダンナはビオラ弾きらしいので、ま、音楽仲間という事で勘弁してもらおう。

 日曜日の台北は動き出すのが遅いので、今朝はホテルでうだうだと午前中をすごし、午後は華陰街へジモティーグッズを探しに行ったあと、久々に新光三越摩天楼に登った。
 もやがかかった感じで、見通しは良くなかったが、パノラマ写真をつくれるように360度の写真をとったつもりだ。


(2004年6月12日)
 昨日の夕方、伊通マンションにチェックインし、一旦会社に戻って仕事を終えて、こちらの社長と夕食を済ませて、21時頃に伊通マンションに戻ると玄関が開かない。
 部屋のキーとビルに入るキーをもらっているのを思い出し、ビル入館キーを通したけど、うんともすんともいわない。
 ロビーにいるはずのガードマンも見あたらなく、「おいおい、チェックイン当日から、これかよ~。今晩は露宿かいな。」と10分ほど待っていると、宿泊客の30歳くらいの日本人が帰ってきて、「あいつ、また寝てるのか。」と言って玄関のガラスの自動扉を叩いても、出てこない。
 そのうち、同年代の日本人が帰ってきて、彼の入館キーを入れても開かない。
 ビルの裏に回ったりしてると、ようやく、そのガードマン兼受付が戻ってきた。
 3人で文句を言って、ようやく部屋へ。
 調度品もいかにもヤスモノで、だだっ広いだけ。まあ、基本的には寝るだけだと思い直してみたものの、毎晩、締め出しを食らっちゃ、やってられないので、速攻で、唯一覚えている兄弟飯店の電話番号を押して、明日からの部屋の開きを確認して予約した。
 でも、この広さと部屋の感じ、20年ほど前の中国の地方のホテルや招待所(よりはいいが)を思い出させてくれた。
 やはり「マンション」と謳っているのは尤もだ。
 
 今朝は月曜日に台湾に入ってから初めての青空。暑くなりそうだ、と思っていると隣の伊通公園から、セミの鳴き声が聞こえてきた。
 もう、夏だ。

(2004年6月10日)
 今回の出張はホテルを転々としている。
 MRT中山國中駅そばの台北馥敦というビジネスホテルに続き、華泰王子(プリンスホテル台北)だ。どちらも4泊づつ宿泊する予定だったけど、どちらも幹線道路の横なので、うるさく、2泊づつで終わった。
 明日からは伊通公園横の「伊通公寓」に移る。もともと長期出張者向けのウィークリーマンション的なホテルらしい。土日はゆったりできるかな?
 
(2004年6月9日)
 9年前に亡くなった台湾の友人の息子と食事をした。
 前回、会ったのは4年位前で、前回は「身体つきはもう大人だけど、まだ子供だなあ」という印象が残ったが、今回はもう18歳になり、話す内容も「日本の景気はどう?」だとか「僕は小泉首相はなかなかやっているという評価してるよ」なんて、話す内容も、もう大人だ。
 昔は、母親似だなあと思っていたが、彼が話すのを聞きながら節々に友人の面影を感じ、複雑な感じだった。
 そういえば来週の6月19日は彼の命日だった。
 彼も生きていれば、オヤジ同士、子供のことなんか話しながら、酒でも飲みたかった。
 
(2004年5月26日)祝!!!! 100,000アクセス!!!
 数年かかったけど、広告も出さない個人のホームページで、且つ、台湾だけにターゲットを絞った内容で、10万アクセスを超えるとは夢にも思わなかった。本当にうれしい。
 少しでも、実際に「近い」台湾の事を知ってもらう事で、お世話になった台湾の友人達の恩返しになっただろうか。
 当面、今期一杯だが、また連続台湾出張が始まった。
 ホームページのネタは集まり始めたが、以前の情報とどのようにマージさせるかが課題だ。
 新鮮な情報は新鮮のまま、古くなった情報は参考、記録用としてどのように表現するかだなあ。背景の色分け等でできるだろうか。
 このホームページを始めたころと比較すると、市販の書籍のガイドブックの内容も詳しくなった。
 そのおかげだか、九イ分には日本人観光バスも来るし、三峡みたいな郊外の街でも日本人観光客に出会う(私もその一人だが)。
 でも、ノスタルジーに浸るつもりはないが、やはり昔の風景も残しておいて欲しいのが人情か。
 先日14年振りに陽明山公園の七星山の北西側にある小油坑へ行ったが、かつてホームページに載せた写真の風景を思い出してしまった。 「ああ、あの時はあんな家は建ってなかったな。」なんて思いながら・・・
 これからもダイナミックに、且つ、少しずつ変わり行く台湾を地道にながら紹介していこう。


(2004年5月22日)
 久々の土日を挟む2週間弱の台湾出張から帰ってきた。
 去年、「道路表示の英語表記がピンインに変わる」という記事を見たが、「注音字母を捨てるの?本当?」と思い、全然変わる気配がないので、ガセネタかと思っていたが、今回、捷運(MRT)の駅で電車を待っていて、駅名表示を見ると、大きなシールで貼りなおしてある。 漢字表記は同じロゴなので、何でこんなことをと思ったら、その下のローマ字表記がピンインになっていた。確かにシールの下にはトーマス・ウェード式の英語表記がうっすら見えている。
 その気になって街中を見ると、道路表示もかなりの部分がピンインに変わっていた。 ピンインで中国語を覚えた我々にはありがたい事だ。

(2004年5月16日)
 火曜から台湾出張しているが、現地で世話になっている会計士のタマゴに現地会社社長と一緒に北海岸から金山~陽明山をドライブに連れてもらった。
 昔、台湾の会社で同僚だった照子に1999年9月に北海岸に連れていってもらったが、富基の港はだいぶ変わっていた。漁獲量が増えたのか、港の横にきれいな砂浜だったところも新しい港になっていた。
 今回は一眼レフを持っていったが、1本とれていないのでカメラごと、台湾に置いてきてしまった。来月の出張で残りを取ったうえで、いい写真があれば、「台北近郊 (淡水~富基)」のページを更新しよう。
 この日、初めて金山のテレサ・テンのお墓に行った。横にある墓誌銘には「愛国藝人麗?(草冠に均)」と書かれている。係りの女性の説明によると、以前は彼女たちが出勤時テレサ・テンのテープを回し、退勤時に消していたけど、今はコンピュータで朝から夕方までテレサテンの歌声を流しているとの事だった。
 17~18年ほど前、北京で仕事をしていた頃、「敵性歌手」という事で、禁止されていたテレサ・テンの(当時はまだ高いCDを持ち込んで、ホテルの従業員と聞いていた日が懐かしい。)

(2004年4月18日)
 娘は昨日のボントロの音が出たのがウレシイのか、今日も「吹いてみたい」との事。
 King3B-SGXを持たせて、「スライドの場所が7つに分かれていて、一つで半音さがるんだよ。」と教えてやると、自分の音を聞きながら、ポジションを探ってドシラソファミレドとB♭スケールを吹いている。
 恐るべし、子供の耳! 単なる親バカか?。(笑)
 しかし、シルバーソニックで練習なんぞ、数十年早い!(爆)

(2004年4月17日)
 娘く約束した「たまごっちプラス」を買うついでにと、FCOの練習に娘を連れて出た。 「たまごっちプラス」は結局、どこも売り切れでまた今度にした。
 一度、娘にバリサクを吹かせてみようと思い、練習の休憩中に誘ったが、恥ずかしいのか遠慮していたが、「トロンボーン、吹いてみたい。」との事。
 こういう事もあろうかと、ジョージ君と交換しているKing2Bを出しておいてもらったので、吹かせると、さすがに音程は非常に怪しいが、ド・ソ・ドと1オクターブ出している。
 子供らしいのが、「ボントロを持つ左手は『ゲッツ!』の指」だと。な~るほど。

(2004年4月11日)
 久々に長期出張で日本に来ているケンちゃんから電話をもらった。新潟が出張先だが、時々仕事で東京方面に出てきているらしい。さすがに日本での生活なので、日本語の上達がスゴい。
 今日も「池袋まで出てきているけど、昼飯をどう?」という事だったが、悪いが病院へ行くので、と断った。
 もっとも、11時半に電話を貰ってスグ出ても、横須賀からだと1時半頃になってしまうが。
 午後は娘を連れて、病院へ。 女房も術後3日目だが、回復が目に見える。
 昨日はUPS JAPANの代理をやっているヤマト運輸のセールスドライバーが、凹みバストロの写真を撮りにきてくれた。 彼はアルトサックスをやっているとの事で、写真を撮りながら楽器やバンド話に花が咲いた。

(2004年4月6日)
 女房が入院したので、2週間弱の父子家庭の始まり。
 凹んだバストロの方は、相手側がようやくクレームレターの対応を始めたようで、UPSに連絡したとの事。
 こんな時、ニュージャージーと日本は朝昼逆転(時差14時間)で、連絡の1往復に2日かかる事になり、イライラする。
 しかし慣れない英語でのe-mailというのは時間がかかってしようがない。
 まあ、YesかNoかが判るように淡々と書くだけだけど。

(2004年4月4日)
 横浜・山下公園横の大桟橋にある大桟橋ホールで演奏。 雨と花冷えのあいにくの天気となったけど、2ステージ演奏した。 1stステージと2ndステージの間にコニちゃんこと、KONISHIKIさんのトークショウ。
 トークの中でKONISHIKIさんは音楽家族で育ち、本人も「Tp.、Tbを吹くよ」と話していたが、我々の演奏を始めは舞台袖から、1~2曲後には一般のお客さんに混じって、まん前で最後まで聴いてくれた。
 彼の分厚く大きな手からの拍手がはっきり聞こえた。
 このあいだ、ヤフオクで売っぱらったStomviのテナーバスの代金をベースにDillonmusicにGetzen1052バストロを発注していたが、前々実に思ったより早く着いた。 ただ、早く着いたはいいが、ベルに大きな凹みを発見。
 早速、クレームレターを出したが、どの過程で凹んだのかは、これからの調査。どうなる事やら。

(2004年4月1日)
 急遽、横浜市が共催の日米友好150周年記念イベントにTPO Swing Orche.で出演する事になった。
 4/4の12:00と16:30の2ステージで、山下公園の隣の大桟橋ホール。
 曲も急遽決めた22曲。どうなる事やら。
 なかなか平日の帰宅後って、サイレントブラスを付けて吹いてみるものの、どうしても息が詰まった感じなので、練習という程の事はできない。
 そこで、花粉症もちとしては、ユニチャームの「超立体マスク」がグッド。
 口元に余裕があるので、通勤電車の中で唇の周りに力を入れたり、軽くタンギングの練習をしても外からは見えず、怪しいオヤジに見られないないスグレもの。 ただし、この時期限定の練習方法。
 MP3プレイヤーを聞きながら、ドゥ~ドゥ・ドゥ~ドゥなんて、練習になってる?
 ガンの手術で左頬の筋肉がないけど、他の口輪筋でなんとかカバーできる手はないかと探ってる。

(2004年3月24日)
 結局、Stomviのテナーバス・トロンボーンをYahooオークションに出品し、落札いただいた。
 いい楽器だと思っていただけに残念だが、吹く機会がないのでしようがない。
 このStomviのトロンボーンは輸入量が少なく、中古で買ったこともあってスペックが判らなかったので、日本トロンボーン協会の掲示板に質問したけど、今回落札頂いた人は、この質問に答えて下さった人の知り合いだった。案外、世の中狭いもんだ。
 部屋でホコリをかぶっているよりは、使ってもらった方が良いし、こちらもバストロ購入資金となってくれたので有り難い。
 つい、この間からオークションにはまり、カバンやマウスピースを落札し、出品は今回が始めてだけど、落札してから発送までの数回のメールのやりとりで相手の人柄がわかるのが面白い。
 トロンボーンという同じジャンルを趣味とする人とは特にね。事務的な支払いや発送以外に、「別に出品されてるあの楽器いいですね~」とか、「なかなか、あのマウスピース、売ってないんですよね」とか・・・・

(2004年3月7日)
 今年は既に短い出張ながら3回、台湾に行き、今週は4回目の出張を予定している。 台湾の友人は逆に日本への長期出張で新潟に来ているとのこと。 突然、昨日、横浜に遊びに来ているとの電話があったが、今年初の出張後にひいた風邪の影響か、だるさがどうも抜けきれず、彼には悪い事をしたが、静養させてもらった。
 今年は出張回数が増えそうだ。 土曜日帰国の時は朝一番の飛行機で帰れば、TPOの夜の練習に出られるが、土日を挟む出張日程になると、練習が隔週のバンドにはなんとかなってもThe Notesのように毎週練習となると欠席せざるをえない。
 さすがに去年NYで買ったKING 3B-SGXはもっと吹き込みたいけど、やはり去年買ったテナーバスを売っ払らって、バストロンボーンの購入を考えている。 だけどさすがにバストロは高い!。 直接輸入すれば半額近くで買えるが、試吹できないのでアタリハズレはどうしようもない。(T_T)

 先日のコンサートの映像をFCO(Four Counts Orche.)のパキちゃんが撮ってくれており、DVDに焼いてくれたので、今日、プレステで見た(聴いた?)けど、やっぱり悲惨な演奏でした・・・・・・・羞恥プレイですな、こりゃ。


(2004年2月14日)
 世の中はバレンタイン・デーという事で、会社では女の子から前日に「激励品」を頂いたが、この日はThe Notesのコンサート。 一昨年使った中野ゼロの小ホールだけど、3週間前くらいまで曲も決まらず、当然練習もガタガタの状態。
 案の定、みんなリズムはズレているは、ミストーンは出すわで、悲惨な結果でした。 それでも、社交辞令でアンケートには「良かった」と書いてくださる、お客様に感謝。

(2004年1月11日)
 新年早々、1/6から台北に来ている。本当なら1/10に帰国のはずだったけど、仕事が延びてまだ台北。
 ベスト必須どころかコートも欲しい寒さだ。 この時期の台北は湿度が70%を超えるので体感温度は思ったより寒く感じる。台北の人はダウンコートを着ている人も多い。(さすがに15℃位あるので日本人にはいないだろうけど。)
 昨日は仕事に出て、ホテルをホリディインになった環亞飯店に移った。
 モーターショーをやっていて、延泊が出来なくて他のホテルも満室のホテルも多いようだ。
 環亞飯店ではインタネット接続不可の部屋だったので換えてもらったら、その部屋もADSLの口が無い。 またクレームをつけて別の部屋に移ったらその部屋はLANのケーブルが出ていてOKと思いきや、どう設定を変更しても接続できない。 日本は月曜は休みなので会社のメールを見る必要もないし、日本なら3連休なのにせっかくの1日の休みを半分近く部屋移動でつぶされたので、もういいや、こんなホテルは2度と使わないと決めて、年末の街に出かけた。
 台北101(101階のビル)は低層棟の一部が前回の出張帰国日の翌日オープンだったので、先ずは足を運んだ。 まあ、一般的なショッピングモールで広々としているだけ。
 ここはざっと見て、次はこの時期に限り「年貨街」と呼ばれる、迪化街へ出かけた。
 MRTで市政府から双連まで行って、タクシーに乗ろうかと思ったけど、MRT出口に迪化街2Kmとあるので、前回歩いたときの感触では2Km程あったよなあと思いつつ、歩く事に。
 近づくにつれてすごい人出。つい、春聯やお菓子類を買ってしまう。
 迪化街自身は当然車乗り入れ禁止で、バーゲンのデパート以上の人ごみで10m歩くのに数分というスゴさ。
 でも、台北の年末を体感できて、ホテルでの不満を解消。

(2004年1月4日)
 明日は仕事初めだが、その翌日からまた台湾出張だ。正月早々というのは今まで、案外なかったかもしれない。今回は5日間だ。
 定宿の兄弟飯店が工事中で朝からウルサイので、今回は初めての老爺商務会館。JALホテルグループであるロイヤル・台北のビジネスホテル。値段が約半分だし、兄弟飯店と比べても2/3と廉価。
 昔の金府大飯店をロイヤル・ホテルが買ったようだ。

(2004年1月3日)
 さあて、年も明けた。 今年こそ、各ページのリニューアルを目指そう。
 ・・と永い間、思い続けているのだが・・・・・。
 年賀状ネタもこの十数年、音楽ネタに絞ってきたので、これが逆に自分の首を絞めていてなかなかデザインが決まらず、今年は年賀状をポストに入れたが結局、大晦日に入っていたっけ。
 正月休みは特に遠出もせずネット三昧だけど、3本のトロンボーンのSerial No.で腑に落ちないところは相変わらず。
  King 2102(2B-LA) S/N 192638
  King 2103(3B-LA) S/N 743735
  King 2103(3B-SGX) S/N 931236
 3B-LAは確かに1975~1980年の頃の製造と言われると確かにその当時だと思える程度。
 Kingはどうやら1985~86年にSerial No.が999999になったので、また100000から採番し直したようで、どうも2B-LAは番号から見ると1987年あたりの製造となる。さすがにビンテージの1940年製造って事はないよね。
 ただ、そうなると昨年秋に米国で買った3B-SGXは1983年あたりの製造となってしまう。
 KingがUMIに買い取られた1986年以降のS/NもHPには書かれていないので、判らないけど。


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Author:あや~(阿雅)
台湾で始めた二胡、2008年4月~2010年7月の間、さぼりながらのレッスンで、帰国後はホコリをかぶっていましたが、2012年10月からグループレッスンですが再開しました。
ずっとBigband JazzのTbをやってきたので二胡とJazzと台湾、台湾からの帰任後の中国関係の仕事から中国も含めたブログです。
ご連絡はmonsieur_tb♪s7.dion.ne.jpの♪を@に代えてメールでお願いします。

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