胡琴雅爵

Jazz-Trombone & Erhu-Fiddle

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

1999年の自言自語

自言自語(1999年)


(99/12/5)
 台北もようやく冬らしい気候になってきた。街行く人も日本と同じ格好だ。(そんなに着こんでダイエット?とも思うが。)
 九分に行ってからずっと「悲情城市」を見たい思っていたが、先月やっとビデオCDを入手した。3枚組みで500元だ。ほとんど台湾語なので聞いてもわからない。字幕の北京語でようやく筋がわかる程度の語学力にはもっと勉強せねばと反省。
 今回の出張では布袋戯(指人形)師の李天禄の半生記「戯夢人生」(侯孝賢監督作品)のビデオCDを入手した。こちらは2枚組みで350元だった。映画の事は良くわからないが、作品としてはやはり「悲情城市」がいいと思う。「戯夢人生」も台湾伝統芸術である布袋戯の記録という観点では素晴らしいと思うが。
 
 今回の出張ではもう一つの収穫がある。二胡という楽器を知ろうと思い立ったことだ。台湾の第一人者、温金龍さんに会って12/16発売のCDのマスターテープを聞かせてもらったのがきっかけだ。
 西洋音楽と伝統楽器を融合された音楽を創られている。
 CDジャケットのイメージがあったので、多少痩せられた感じがしたが、本人に聞くと「芸術家は貫禄があった方がいいよね」と同意を求められた。(トロンボーンを吹いていると言っていたので、こちらの出腹を見て言われたのか?)
 楽器は8千元~1万元くらいから手に入るとのこと。だけど、温さんは教則本もあるよと言われていたが、重慶南路の本屋街に行っても見当たらない。やっぱり楽器屋かと思うが、金管楽器を扱う楽器屋は数軒知っているものの中国楽器も置いているとなると・・・・・
 まずインタネットで調べてもヒットしたのは事務所のようなところ(中和まで行った)ばっかり。次は電話帳で調べてさがしてみよう。

(99/11/6)
 うっとおしい日が続いていたが、朝からピーカンだったので、今日は金瓜石へ。この間行った「雨の九分」も良かったが、最近はまるで京都寺町通り/原宿竹下通りのような騒がしさ。
 7~8年前はなんにもなかったのに・・・・
 一方、金瓜石は静かないい町だ。こちらも九分に負けない階段ばかりの町だが、キャピキャピうるさいのはいないし、土曜日の昼頃というのに数人しかすれ違っていない。
 本当は瑞芳駅から九分へのタクシーの中で突然思いついて行き先を変えたんだけど、結果的に大正解だった。
 2時間半ほど歩き続けただろうか?その後、九分までバス通りとはいえアップ&ダウンの道を30分強歩いた。ああ疲れた。
 米沢さんの「台湾黄昏地帶」のページをもっと良く見ておくんだったと反省しながらの「古びた田舎にちょっと一人旅」って感じ。
 たまたま持ち合わせていた森本さんのページ(皆さんご存じ「侯孝賢作品撮影地画像集」)のハードコピーが非常に役に立った。森本さん、謝謝。

 今回、台湾に入る前日(11/2)にも成功沖ででかい地震があり、太平洋側はほとんど震度5。
宜蘭に嫁いだ元同僚(早くも2児の母親)に電話したら、持ち前の明るい声で「没有問題!」。
母は強し。(独身のころから強かったが・・・) とにかく、よかったよかった。

(99/10/22)
 まったく、よく揺れることだ。台北で震度2だと。(嘉義の人はこんな悠長なことは言ってられないだろうが。)
 昨晩は初めて台北のJAZZ Pub,Barとやらに行った。
 「藍月」はダメ。Restaurant & Jazz Pubと書いてあるのにロックがかかっていて、「Jazzにしてくれ」といったら、ブルースを流してくれた。極めつけはビールに氷だ。ここは15年前の北京か!(北京の人、ごめんなさい。でもそうだったでしょ?)
 「異塵I」はマル。欲を言えば、もう少しいいスピーカを入れてほしい。値段も差不多。
 だれか、いいJazzスポットを教えてくれないかなあ?
 案外、林森北路8条通りの「ダイニングルーム」(日本家庭料理屋)のCount BasieのBasie-Straight Aheadが新鮮だったけど。
 ライブは市民大道にある店でヘタクソな学生バンドを聞かされた事があるので当分は遠慮。やっぱり、農安街や公館のあたりかなあ?

(99/10/17)
 台湾在住時、お世話になった故人のご家族と食事をした。
 故人の奥さんのおかあさんは「ずっと台北にいたが、昭和6年生まれだから、中和・永和あたりに疎開ばっかりで、ちゃんとした日本語教育を受けていないから、私はきちんとした日本語はできない。」とりっぱな日本語で。
 最近のメチャクチャな日本語を聞かれたら、益々、自信を失くされるかもしれない。
 ご主人は日治時代、日本語の先生をされていたとか。2年前に亡くなったらしいが、数年前、お宅にお邪魔したとき、カクシャクとした日本語を話され、軍歌を歌われた、「元日本人」を忘れることはできない。
 この人達との出会いも私の心の「台湾」だ。激動の時代を経てきたこの「新台湾人」には、せめて平和になったこの時代を長生きしてほしい。

(99/10/13)
 また来てしまった。台湾。
 台北あたりでは余震も感じない程になっていると思っていたけど、今朝、余震が来ました来ました。
 でも、あの程度で震度2だって? それなら、9/21は震度10位はあったように思う。
 もっとも南投なら震度100位だろうが。
 仕事がらみで入ってくるお客さんの情報としても、工場は大丈夫でもサプライヤが被害を受けていたり、計画停電の影響で納期が間に合わないなど、どこも大変なようだ。
 コンピュータよりも生産・販売設備優先で、我々の商売はあがったりだけど、直接の被害がなかっただけ、感謝せねば。
 なによりも被害を受けた方々の復興が第一だ。
 がんばろう!台湾!

(99/10/3) 
 中央気象局の地震報告をみても、台湾中部ではまだ震度1~4程度の余震が2~3回/日あるようだ。
 まだ、本震程度の大きな地震が発生するといううわさが流れているのは聞いたが、中央気象局によると(残念ながら?)「現在の予知技術ではわからないのでデマだが対策は十分に」と言っている。まあ実際はそんなところだろう。
 今週の台湾出張は様子を見ていたが、埒が明かないので連休開けあたりに行くことにして、また現地からコメントしよう。
 そういえば松山賓館の下に住んでいた日本人女性、やはりダメだった。合掌。


(九二一集集大地震!-2 9/23 )
 やはり、台北で倒れたビルは1階に銀行がはいる時に柱を切り取った違法建築だったみたいだ。そう言われると確かに、台北市内は他のビルは倒れていない。
 台北市内は9/22午後あたりからほぼ通常モードに戻った。近くに被害は見られない。(看板が落ちたり、バイクが倒れたりさえしていない。ではあの揺れはなんだ、部屋が揺れる9階だったから? まるでアイスホッケーのパックになったようだった。)
 台中の様子からバブル崩壊後4~5年の建築物が危ないらしい。
 ここ台北は震源地からは150Km位はなれているが、会社から至急帰れと言われ、飛行機を取ったが、今度は台風で飛ばないだと!なんてこったい。
 被災者の名誉のため補足するが、台北で倒れたビルは「松山賓館」とあり、名前の通りラブホだが、実際は「ラブホも入っているビル」で、上記銀行のほか一般住宅も入っている。
 まだ埋まっている日本人女性は台湾人男性と婚約し(入籍済みだから結婚か)、10/10の台湾建国記念日に挙式予定だったそうな。「無事救出」の吉報が待たれる。



(九二一集集大地震! 9/21)
 夜中(1:47)に飛び起こされた。こんな地震は台湾では初めてだと、こいつはヤバイと思いながら、停電で余震のなか、パスポート/TC/ミネラルウォータなどを探し、リュックへ。
 非常階段への扉がガタンガタンとなっている。
 ようやく、落ち着いたかと思うと、余震が。
 朝方までウトウトする中、余震でフッと起こされるというのが続いた。
 ようやくさっき20時ころ復電し、ホットしているけど、私がいるのは台北だからこの程度で済んでいるけど、南投/台中の人たちを思うと心配だ。
 ノートPCのバッテリーパックを会社に置いてきたので、せっかくのリアルタイム更新用のPCになるはずが「ただの箱」となっちゃった。
 残念ながら、まだまだ、被害者は増えそう。
 松山駅前のホテルが倒れたが、同じように新荘でもマンションが倒れている。
 耐震構造になっているとは思えないような作りだけど、今、泊まっているホテルは大丈夫だろうか。


(99/9/19)
 昨日は三峡へ、今日は鶯歌へと行ってみた。
 三峡は初めて。ガイドブックに書いてあるバス停さがしに1時間ほどかかった。
 下調べしようとは思ったけど、台湾の出張先の会社の人に聞いても、ホテルの人に聞いても、バスの運転手さん、タクシーの運ちゃんに聞いても、「我不知道」だもの。
 まあ、バスのガイドブック(台北での生活には必須?)を買わなかった私が悪いのだろうけど。
 結局、うろうろしているところに「三峡」と書いたバスが赤信号でとまったから、内側車線で止まっているバスに乗り込み(日本ではできないのが残念。)、1時間。
 小さな街で、ガイドに「老街」とあるあたりへ行っても、赤レンガの崩れそうな亭仔脚がある程度で、被写体には苦しいなあ。
 でも、祖師廟の彫刻は素晴らしかった。天気もよかったから、リバーサルへの写りも期待。いいのがあったら、また写真のページに載せようっと。
 台湾の女子高生らしいのが2人、いかにも「写真クラブです」っていう感じで、首からAFが出る前頃のキャノンの一眼レフをぶら下げて、撮りにきてました。やっぱり、ここはそんな所なんだ。

 鶯歌はだんだん、ダメになってきているのかなあ? 陶器の街といっている割には、ピンとくる商品が少なくなってきている。
 どの店に行っても同じような品ばかりで、数軒の今風の「創作陶器」の店があるけど、点数は少ないし。
 だいたい、街に煙突がなくなってきている。まあ、今は電気釜で焼くのだろうけど。
それにしても去年12月に行った時にやっていた、陶器街の道路工事はいつ終わるんだろう?

初めて出張中の台湾のホテルからのHP更新だ。便利な世の中になったなあ。


(99/9/12)
 久しぶりに淡水にいったけど、駐在していたころの景色がどんどん無くなっていくのが、とっても惜しく感じるのは年のせい?と思いながらも、人と車が溢れる街なみを歩いてみた。
 淡水河沿いもこぎれいになり、土産物なんかの屋台の並ぶのを見ると、ますます「xxらしさ」が消えつつあるようで残念。
 もっとも、地元の人達は清潔で台北からの客が増え、お金も落としていくので、生活も潤っているようだし、勝手な一日本人のわがままな感情にすぎないということは判ってはいるつもりだけど。
 でも、昔の同僚への数年振りの、それも駅前からの突然の電話に、直ぐ行くからといって、迎えに来てくれる心づかいには「台湾らしさ」はやっぱり残っているなあと甘えつつも、ほっとする一日だった。


スポンサーサイト
  1. 1999/01/01(金) 01:01:01|
  2. いつもの日記

最近の記事

カテゴリー

プロフィール

あや~(阿雅)

Author:あや~(阿雅)
台湾で始めた二胡、2008年4月~2010年7月の間、さぼりながらのレッスンで、帰国後はホコリをかぶっていましたが、2012年10月からグループレッスンですが再開しました。
ずっとBigband JazzのTbをやってきたので二胡とJazzと台湾、台湾からの帰任後の中国関係の仕事から中国も含めたブログです。
ご連絡はmonsieur_tb♪s7.dion.ne.jpの♪を@に代えてメールでお願いします。

リンク

このブログをリンクに追加する

ブログ内検索

月別アーカイブ

RSSリンクの表示

カレンダー

12 | 1999/01 | 02
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31 - - - - - -

FC2カウンター

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。